2018年1月18日木曜日

『カムイ伝講義』 田中優子

江戸時代は、世界史上まれにみる平和な時代で、地方民の自治もすすみ、江戸などでは庶民文化の繁栄を謳歌した時代といわれるようになったが、ではあの1970年前後のころに大ヒットした白土三平の劇画『カムイ伝』の百姓一揆の世界は何だったかということだが、
この本によると『カムイ伝』は、江戸時代初期の1600年代の大阪周辺の和泉国のある近郊農村を舞台にしたものらしい。まだ戦国浪人もあぶれていて大河川付替などの開発ラッシュの時代である。「平和な江戸」とは1700年代と1800年代初期をいうのだった。
江戸時代は、農地の年貢を除いた税制一般についてはまるで研究が進んでいないのが実情とも書かれてあった。

この本の後半は文体も全く異なり、二名の共著にすべきだったということが、後書きでほのめかされていた。
田中優子『カムイ伝講義』2008 小学館

2018年1月17日水曜日

宮本常一「忘れられた日本人」を訪ねて

2007年、別冊太陽の「宮本常一「忘れられた日本人」を訪ねて」(平凡社)は、すぐに読んでみたが、この人の本はしばらく読むのを忘れていたのだった。
特別掲載のものを読むと、面白かった。

戦国の戦は、秋の収穫を終えた農閑期に多いのだとか、つまり兵隊たちはふだんは普通の農民であるわけなのだ。
そうなってくると、対馬海峡あたりに出没した和寇も本当にいたらしい。出没する季節があり、瀬戸内の島の住人が多かったとか。
船を住居とする人たちの生活、昭和30年代にはNHKテレビの少年ドラマでも見たことがある。「ポンポン大将」というタイトルだったか


2018年1月16日火曜日

宮田登日本を語る〈2〉すくいの神とお富士さん

富士講や浅間信仰については、養蚕地帯の女性たちを主体にしたものであったということ。

行者たちはさまざまなことを書き残しているが、内容は主観的で情緒的な感はいなめないが、それら自体が一種の「おふだ」として信仰対象になったことは間違いないのだろう。女性たちの関りかたについても、すぐれた一個人が現れてその人の主義主張が大衆を感化して広まるといったような、従来型の歴史観は、どうしても作り話的であり、やはり主役は集団であり、集団の行動を哲学的にとらえなおすことが第一歩となるのではないか。そういうことまでこの本に書いてあるわけではぜんぜんないが、女性史にとっては女性たちの民俗と信仰が重要であることには異論はなかろう。

このシリーズは著者の著作集にもれた小編を毎月1冊づつ集成したもので、地方の書店にも並んだ。その後、何年かで本はネット購入が大半となる。
『宮田登日本を語る〈2〉すくいの神とお富士さん』 吉川弘文館 2006年

2018年1月15日月曜日

藤木久志『刀狩り』 (岩波新書)

近世社会で帯刀が許されたのは武士だけだったのだが、「帯刀」の意味を良く知らないでいたのだった。そんな基本的な言葉の意味も、よく理解せずにいたわけである。

帯刀とは、大小2本の刀を指す、二本差しのことである。1本では帯刀とはいわない。
やくざの渡世人は、股旅映画で長ドスという刀を差しているが、1本なので問題ないのだろう。
庶民は短い脇差一本である。伊勢参りなどでも携行した。護身用というより、信仰的な御守りのようなものなのだろう。だいぶ重量はある。大正生れの父の代までは、寝室の床の間に刀が飾ってあったが、民俗学的にも寝室に置くものらしい。死ぬと掛け布団の上に守り刀である脇差しを置いた。

有名な秀吉の刀狩りとは、刀を没収したのではないらしい。農民たちは武器としての刀は、一揆の際にも使用することはないとのこと。
大量の刀の没収が行われたのは、戦後のマッカーサーの刀狩りのときで、刀の多くは米兵の日本土産となったらしい。信仰的に重要な守り刀であるという意識が日本人から消えて行ったのが、素直に刀を差出した原因とのことで、そんなことが書いてある本である。
藤木久志『刀狩り』 (岩波新書)は、2005年 岩波書店。

2018年1月14日日曜日

『鳥の雑学事典』山階鳥類研究所

初版は2004年2月、1年後に第5版なので好評だったのだろう、良い本である。
山階鳥類研究所の著作、日本実業出版社。しかし内容を思い出せなかったので、今回ぱらぱらめくってみた。

梅に鴬というが、鴬の梅の花よりやや時期に来る、しかしどちらも春を告げる花と鳥ということ。梅の花の時期に来るのは目白が多いらしい。
松に鶴、松は乾燥地を好み、鶴は湿地を好むので、取り合せは良くないとのこと。

天神様のうそかえ神事、木彫の鷽を交換して旧年の嘘を祓うものといわれる。鳥のウソ(鷽)は嘘とは関係なく、嘯(うそぶ)くという言葉からきている、嘯くとは口笛を吹くという意味で・・・ こんなことがいろいろ書かれてあるので楽しいわけだ。

うそかえ神事についてはたまたま録画したNHKの「コメディーお江戸でござる」の一編を思い出す。善意のやむにやまれぬ嘘が、古典的な笑いやドラマになるような、それは一つの作劇術にもなるように思う。

2018年1月13日土曜日

杉浦日向子監修『お江戸でござる』

杉浦日向子監修『お江戸でござる―現代に活かしたい江戸の知恵』(ワニブックス)は2003年8月発行。内容は、NHKテレビ番組「コメディーお江戸でござる」内の「おもしろ江戸ばなし」をもとに、出版社が作った本である。
広い読みしたが、監修者本人の別の著作のほうが面白い。
番組開始から9年も過ぎてからの本であり、遅いと思った。
1年後の7月末、に杉浦氏の訃報の知らせがあってから、他の本の再読などをしたが、この本は手つかず。やはり本人の文章とは違うものだからだろう。

2018年1月12日金曜日

『文明としての江戸システム』 (日本の歴史) 鬼頭 宏

『文明としての江戸システム』 (日本の歴史)  講談社 2002
鬼頭宏氏は人口学が専門とのこと。江戸時代については近世史専門の人には良い本がないので、こういう人の本は期待が持てる。この本は「日本の歴史」シリーズの中で、江戸時代の社会構造に着目したもので、最近の研究成果をよくまとめた読みごたえのあるものだった。

1つだけ個人見解を述べる。この本で、石高の小さい農家の娘が都市部に奉公に出るのは家計を助けるためかという部分があったが、親子の情緒的な話になってしまわないか。石高が少ない家は田畑が少なく農業の仕事が少ないのであって、仕事がないから奉公に出るだけの話。田畑に必要な労働力は決まっていて、多くても少なくてもいけない。労働力の必要量が小さければ、家族は外に出るか、晩婚で世代の年齢差を広げ、家の働き手を少なく維持する必要がある。

2018年1月10日水曜日

『折口信夫伝』 岡野弘彦

『折口信夫伝―その思想と学問』岡野弘彦著(中央公論新社 2000.9)
あまり個人の評伝を読む趣味などはないが、例外的に読んだ。
お陸地の私生活については、養子になった人がいて、その関係とは、折口は父でもあり、母でもありということなのだろう。

養子の戦死ということもあったが、彼ほど先の大戦の敗戦を重く受けとめた人もなかったという話。日本の敗戦を日本の神の死にも等しいものとして、現実に直面しなければならないということだったらしい。
戦争中は、軍部にも物申す人であり、戦死者が翌日には靖国神社の神となるのはおかしい、49日の法要そのほか、神となるにはそれなりの手順がいる。日本人の信仰を破壊しようという行為にはたいへん厳しい人だったのだろう。

日本の近代史で最も大きな出来事というか、改革というか、大きな改まりに2つあり、昭和20年と明治元年の2つの出来事である。
今年はちょうど戊辰戦争から150周年である。戊辰戦争が始まったのは、1968年の(旧暦)1月3日、グレゴリオ暦に換算すると、1月27日。幕府方は敗戦し、明治新政府の樹立となった。
徳川の世の瓦解に直面し、それを最も重く受けとめた人は、誰なのだろう。ちなみに我が家の当主は、それを機に倅に家督を譲ったが、25歳の倅が村の名主となったのは確かに早かった。未来への言祝ぎらしきものは書き残したが、情緒的というか、良くいえば文学的。さて「最も重く受けとめた日本人」とは、政治家ではないことは見通しはつくのだが・・・。

2018年1月9日火曜日

おじゃる丸―シャクとプリンはマロのもの (アニメ超文庫)

犬丸りん原作のテレビアニメ『おじゃる丸』は1998年秋の放映開始。
昨年2017年に、20年後の青年となったおじゃる丸が登場する幻想編も放映されたが、それ以外の全ては、登場人物は何年立っても年をとらないわけである。そういうものなのだ。

食べ物(プリン)のこと、追跡ごっこ、大事なモノ(笏)など、子供向けの要素に不足はないが、老人たちが多数登場し、過去の思い出にふける場面が多いのが、不思議な魅力になっている。
1998年の11月ごろ、マリーおばあさんの庭から宝物の入った壺を掘り出す話があり、宝物とは彼女の青春時代の忘れようとした思い出の品々であり、BGMはノスタルジックな古いシャンソン風のメロディだった。子供向けアニメにしては不思議な作品があるものだと思った。

本は、1999年、ティーツー出版の発行、A6文庫判サイズで厚さがあり、カラーページの多いカタログ風の内容である。3冊めまで見た。

2018年1月8日月曜日

『読みなおし日本文学史』高橋睦郎

高橋睦郎の『読みなおし日本文学史―歌の漂泊』(岩波新書 1998) 
自作の「歌語り日本史」なる冊子をまとめたとき、それが終った直後に出た本で、もっと前に出ていたら自作の参考にしたであろう本である。

副題に「歌の漂泊」とある通り、和歌や短詩形の文学を中心に、漂泊というか、さすらう文学に日本文学の特質ないし本流の姿を見てゆくという詩人らしい内容だったと思う。
顕宗天皇と仁賢天皇の兄弟の天皇の時代のことで、当時は印象深く読んだ記憶があるのだが、本が手もとにない。
顕宗天皇の寵愛された老婆、置目の老婆との関係の話だったのだが・・・