2017年12月28日木曜日

『吉行エイスケとその時代―モダン都市の光と影』

『吉行エイスケとその時代―モダン都市の光と影』は、東京四季出版 1997年。小説と評論。写真資料。NHKドラマ「あぐり」の放映の年。

吉行エイスケの小説については、さっぱりわからなかったが、自分の若いころの習作やら、友人たちの書いたものの記憶をたどれば、似たような部分もあったような気がする。
当時の感覚で見たもの、聞いたもの、そういった単語を、関連づけるわけでもなく散りばめて書き綴るというものだったが、吉行のものはもっと上等なものではある。
また字面を眺めながら、読んでみたいと思った。

2017年12月27日水曜日

『歴史と旅』 特集:江戸常識の嘘を斬る

1996年の暮れの発売、12月に読んだ。

秋田書店の『歴史と旅』1997年1月号(特集:江戸常識の嘘を斬る)を読んで、もっと江戸時代の村のことを学ばねばならないと思ったことがあった。この特集は、それ以前にときどきあちこちで見聞きすることのあったさまざまのことがらを総まとめにしてくれたもので、よくよく熟読したものだったが、それ以前の知識として最も勉強になっていたのは、NHKテレビのコメディー『お江戸でござる』における杉浦日向子の解説(「おもしろ江戸ばなし」)だった。お江戸でござるの農村版はできないものかと思っていた。『お江戸でござる』の放送開始は1995年3月30日。

以上は次のURLからのもの。続きも次のURL。
http://edo.nire.main.jp/?eid=1
佐藤常雄氏の論文が良かったわけである。

2017年12月26日火曜日

『貧農史観を見直す』佐藤常雄

佐藤常雄『貧農史観を見直す』(講談社現代新書 1995)
佐藤氏は専門は農業史という。江戸時代のまっとうな研究というのは「近世史の専門家」以外の人のものばかりだとは、よく言われることである。
この本は私も非常に感銘を受けたのだが、同様の人は多いとみえ、個人のブログなどでも良く取りあげられている。
1995年には、NHKテレビで「お江戸でござる」という番組が始まった。近代人が忘れてしまった江戸時代の良さが、杉浦日向子によって語られるコーナーのある番組だったが、そこでは江戸の都市民についての話ばかりだった。そういった新しい目を、農村へも広げていったのが佐藤氏の本だと、多くの読者に受けとめられた。
年貢は土地所有権を保証するもの。農村は自治で運営され、武家は立ち入ることができず、農民がピケを張れば測量すらままならない。村の入口まで用水を引くのは武家の義務。……決して弱くはなく、前むきに生きる農民の姿が描かれていた。

もっと評価されて良い本だと思うが、難点としては、本の冒頭に書かれた蜂須賀家の先祖調べや、伊達藩での親権認定の話が、大石大三郎の『江戸時代』(中公新書)の導入部と重複する点だろう。内容は問題ないのだが・・・。
江戸時代暗黒史観の元祖は明治政府だが、当時の左派勢力の歴史観も「奇妙な一致」を見せたという指摘があった。それはなぜなのかは重要なテーマである。
この本を読んだのは1997年初め。

2017年12月25日月曜日

『別冊太陽 宝塚 タカラジェンヌ一〇〇』

1994年の「宝塚歌劇団八十周年」の『別冊太陽 宝塚 タカラジェンヌ一〇〇』(平凡社)
百周年(2014)の年に古本で購入。スター100人の写真集と解説。百周年の年にも出版物はあったが、1990年代の別冊太陽のような多数のカラー写真による綜合的な紹介本は貴重といえる。90年代は『別冊太陽』『別冊歴史読本』などの全盛時代。
当時の1990年代前半の宝塚の代表的な演目は、花組「ブラックジャック」、月組「PUCK」」、雪組「ブルボンの封印」、星組「うたかたの恋」。

2017年12月24日日曜日

『伊勢神宮と日本の神々』(朝日新聞社)

『伊勢神宮と日本の神々』(朝日新聞社)は、ムック形式の大型本。
1993年は伊勢の神宮の第61回式年遷宮の年。さまざまな出版物があったと思う。
この年の蔵書リストをみると、
歴史読本 1993年3月号 特集 伊勢神宮 遷宮の謎 新人物往来社
伊勢の神宮―ヤマトヒメノミコト御巡幸のすべて 和泉書院
他に定番の本というのもあるようだ。

今は伊勢神宮の公式サイトに、画像入りでさまざまな解説がある。
式年遷宮
神宮の神話

2017年12月23日土曜日

『日本人とは何か』山本七平

山本七平の『日本人とは何か』は、1992年のPHP文庫。
これより数年前、この本の単行本が出たころだと思うが、山本七平が夜11時ごろのテレビ番組に出て、この本に関連して次のようにコメントしていた。
戦国時代を例に、日本人は放っておくと夫婦単位でどんどんばらばらになる。夫婦以外の関係は重要でないかのようで、戦国時代に夫婦は連座して同罪とされたり、戦後の核家族化もどんどん進んでしまうわけだ。なんらかの規制があったほうが良いとかいう話。
ほかにも気になるコメントがあったような気がするので、文庫化されてすぐに購入。

中世の僧兵たちは、頭から覆面をかぶって、衆議に参加して議論する。顔を隠すのは、地位や身分に関係なく、正しい論は正しいのだと皆が認めやすくするためだという。
秀吉のキリシタン追放は、宣教師らが日本人を奴隷として海外に売買していたからという。日本には、違法なものを除けば、制度としての奴隷はなかったという指摘もあったと思う。
そんなことが書かれてあった。


2017年12月22日金曜日

『日本の歴史をよみなおす』網野善彦

網野善彦『日本の歴史をよみなおす』(筑摩書房 1991)
この本に書かれてあったことで、すぐに思い出すのは、「市」の成立の話。物が商品として取引されるには、物と所有者との関係が切り離されなければならず、それを可能としたのが市である。市は村外れなどの境界と呼ぶにふさわしい場所で成立し、異界からのある力がはたらいて、物と人は無縁のものとなる。市をつかさどる女は巫女でもあったとか、同様の場所では、歌垣も行なわれ、男女の関係もフリーとなるのだとか。
歴史というのは、戦さで誰が勝ったとか、巨大建造物は誰が作ったとか、そんなことがどれだけ重要なのだろうかと思えてくる。

戦後の日本では、公共の土木工事などが盛んで、付随して多くの遺跡などが発掘された。
発掘というと古墳時代以前のものが注目されやすいが、中世のものも多く、新発見の史料により、これまでの歴史記述の見直しがされることも増えた。1986年から刊行された週刊朝日百科日本の歴史などもその一つなのだろう。1990年代は「読みなおし」の時代でもあった。

2017年12月21日木曜日

VZエディターとマニュアル本(ビレッジ・センター)

日本のパソコンPC-9801用のテキストエディタ「VZエディタ」(ビレッジ・センター)は、1989年5月の発売で、1990年初頭に購入してのち、マニュアルを何度も読んだものだった。パソコン関連の本では、最も熟読した本である。
VZエディタはマクロ機能が充実していたので、自作マクロも作った。

広辞苑のCD-ROMのデータを分割コピーしたものから、文字コードを変換してテキストファイル化するマクロ。マクロでの変換は長大な時間を要した。できたテキストファイルは30メガバイトという巨大さ。
その後パソコンのメモリが増え、広辞苑を1ファイルとしてエディタでオープンし、検索機能を使用して、広辞苑の先頭から末尾まで一気に検索できるようになり、現在もこのやりかたである。検索で見つけた項目を読みながら、隣りの項目にも目が行くのだが、これは紙の辞書と同じ使い方。

最近作ったマクロは、次のページの最後のほうにある。
http://nire.main.jp/rouman/dic/norito.htm
現在も、VZエディタをWindowsのMS-DOSモード(コマンドプロンプト)で使用している人は、少なくないそうだ。

2017年12月20日水曜日

柳田国男全集〈5〉 山島民譚集

1989年に、ちくま文庫版の『柳田國男全集』(筑摩書房)の刊行が開始された。
既に角川文庫などで柳田の主要な著作は目にしていたが、第5巻の「山島民譚集」は、初期の論考ということもあり、未整理だが名もない神々についての多岐に渡る内容は多くの示唆に富むものだった。

その3~4年前に、ある知人が「『定本 柳田國男集』が文庫化されれば良いのだが」と言うのだが、「折口信夫全集のように縮刷版で」と言うので、「あれは菊判だから縮小したら読めない。柳田のものは新字新仮名に組み直すのが良い」と答えた。知人は実物の柳田国男集をよく見てなかったのだろう。実際に文庫版が出たとき、その会話を思い出したものだった。『定本 柳田國男集』はまさに定本だったせいか「柳田國男」と本字で書く人が多かったが、一人だけの扱いは奇妙であり「国男」でも問題ないのではないか。

2017年12月19日火曜日

『安吾新日本地理』坂口安吾

1988年の河出文庫、坂口安吾の歴史エッセイ集で、「安吾新日本風土記」「安吾史譚」と三部作といわれる。1950年代のものの文庫化、古代史の先駆などという評価もある。
「飛鳥の幻」「飛騨・高山の抹殺」など、今は青空文庫でも読める。

飛鳥の幻」は、いわゆる大化の改新で滅んだ蘇我氏を再評価する論。
飛騨・高山の抹殺」は、飛騨の伝説の怪人両面スクナとヤマトタケルの話。飛騨の地名については、執筆当時の村名で書かれ、昭和30年頃の合併でほとんどなくなっている地名だったので、地図を見てもわからないものばかりだった。
ほかに「宝塚女子占領軍」も面白い。
『安吾新日本風土記』では、「富山の薬と越後の毒消し」も良かった。

2017年12月18日月曜日

『姓氏家系総覧』(秋田書店)

大田亮の大事典のような単行本の内容が、秋田書店の雑誌「歴史と旅」臨時増刊として1986~87年に3分冊で発行された。
いくつか引いてみて、本当に素晴らしいと感じたわけではないが、資料として手元に置いておくのも悪くはないのではないか。
大田亮の本では『武蔵』という本が家にあり、武蔵国にちなむ和歌の引用、神社については式内社についての伴信友の研究からの引用など、古典文献からメモしておいた大量のカードを並べただけの感があり、『姓氏家系総覧』も同様の印象である。
1冊600ページで¥980だったので買っておいた。

2017年12月17日日曜日

『日本伝奇伝説大事典』(角川書店)

1986年、角川書店、B5判、1000ページ超。
神話、伝説から昔話、また歌舞伎、謡曲まで、そして歌の功徳そのほか、あらゆる物語の粗筋は長文で語られ、研究書の紹介もあり、質、量とも類書を圧倒している。和歌や決め台詞などは丸ごと引用され、読んで楽しい事典である。

全ページを目で追いながら和歌をチェックして作ったノートは、「歌語り風土記」の一部にとって、たいへん参考になったものだった。

2017年12月16日土曜日

『白鳥伝説』谷川健一

『白鳥伝説』谷川健一(集英社)は、1985年の年末発行の大冊。
神武天皇以前の伝説、物部氏の伝説を追って、東国から東北地方へと旅するわけだが、なぜか訪れる土地の多くは、白鳥伝説の地でもあったようで、その先は蝦夷やアイヌの文化と習合したような形になっている遥かな世界のように見えた。
アイヌのイナウは日本の御幣とほとんど同じ物。

だいぶ後に、「ちかと」「ちかつ」「ちかた」という神が、どうやら白鳥飛来地の神のようだと気づいたのだが、白鳥伝説とリンクするかもしれないのでこの本を再読してみたいと思いつつ、10年以上が経過してしまった。

2017年12月15日金曜日

『忠臣蔵とは何か』

1984年、丸谷才一の『忠臣蔵とは何か』(講談社)。
今月のこのブログは1970年代から1年1冊づつ新刊で読んだものを取りあげているが、昨日12月14日が四十七士討入りの日なので、一日早めれば良かったかもしれない。
ただしこの本は2~3年たってから読んだように思う。

丸谷氏によると、忠臣蔵のような人気の出る芝居には7つの要素ありとか。
1、社会を縦断する書き方。殿様から足軽や町人まで、奥方様から遊女までが登場
2、二つの時代の重ね合せ。南北朝時代を描きながら上演された江戸時代を描く
3、「実は……」という作劇術。上に述べた垣見五郎兵衛じつは大石など、貴種流離譚
4、儀式性。 勅使饗応に始り切腹、開城などの武家儀式への庶民の関心
5、地理、国ぼめ。 関東と関西、京の遊郭や東海道などが広範囲に描かれる
6、歳時記性。 桜の下の切腹から雪の夜の討入りまで
7、呪術性、御霊信仰
以前ここに書いた。http://nire.main.jp/sb/log/eid167.html

2017年12月14日木曜日

小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』

小此木啓吾の中公文庫の『モラトリアム人間の時代』は1981年、『モラトリアム人間を考える』と『日本人の阿闍世コンプレックス』は1982年の刊。
1983年前後のごろよく読んでいた。
科学技術が発達し、スイッチを入れて蛍光灯がすぐにつかないだけでイライラするような人間、「全能の錯覚に生きる現代人」は、実際の社会関係では、挫折を経験するのでもなく、ただ腰掛け的な関係、木枯紋次郎の「あっしには関りのないことでござんす」という関係しか作れなくなったということだと思う。モラトリアムとは、一人前になるまでの猶予期間にある人間という意味。現代人は一生モラトリアムで生きるしかないという自覚が必要になる。(「少年の心を持つ」とか「万年青年」は必ずしも悪いことではない)

1970年代から執筆されたものだと思うが、1980年代前半に広く受け入れられたとすれば、科学技術云々だけでなく、伝統的な地域社会の崩壊や、自民党単独過半数割れなどの「ポスト戦後社会」の大きな時代の転換点だったのではないかと思う。
バブル経済へ向かう過程での警鐘というのでなく、既に時代は転換したということ。バブル経済は崩潰したことが問題なのではなく、バブル経済自体が戦後的なものを最終的に崩潰させたにすぎない。

アイデンティティという言葉を、この本で知ったのか、それとももっと後のような気もするが、記憶がはっきりしない。

2017年12月13日水曜日

『梅原猛著作集 11 水底の歌』

1982年。分厚いページ数のわりには価格は低めだったので、気軽に購入。
万葉歌人の柿本人麻呂についての内容だが、「刑死説」はともかく、
人麻呂を若死にとした斎藤茂吉以後の見方が問題であり、中世以前の人麻呂の肖像がどれも老人として描かれていることを重視すべきというもっともな論のほうが多いのである。

有間皇子の「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」は、旅の安全を祈って道中の神に飯を捧げた歌であるとか、大海人皇子と額田王のやりとりの歌「茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」などは宴席でのやりとりの歌にすぎないとか、そういった解釈は、折口学派の解釈であることを知るのは後のことだが、これまで漠然と眺めていた万葉集を魅力的なものにさせてくれた一冊だった。

この著作集は何冊も読んだのだが、文庫化され古書店で¥100以下で求めたものが揃ったので著作集は処分してしまった。

2017年12月12日火曜日

『日本語とタミル語』大野晋

私の地元の地域行事で、昼食に赤飯がふるまわれたとき、岩手県出身のある人が「自分の田舎では赤飯に砂糖をかけて食べる」と言った。東北地方でそのようなことがあるということは、『日本語とタミル語』の冒頭にも書いてあり、炊きかたは違うのだろうが、南インドのタミル地方でも類似の行事があるとのこと。

大野晋『日本語とタミル語』(新潮社 1981)は、日本語とタミル語の系統の問題を論じた本だが、民俗学の勉強にもなるし、万葉集の歌の解釈、国文学の勉強にもなる。
ここから、民俗学や万葉集を、もう少し勉強してみたいと思わせる本でもあった。
前年の1980年には、中央公論社の「日本語の世界」全15巻の刊行が開始され、初回の『日本語の成立』(大野晋)も続けて読むことになった。

2017年12月11日月曜日

『外来語の語源』(角川小辞典)

1980年ごろ買った『外来語の語源』(角川小辞典 26 吉沢典男・石綿敏雄) は前年の発行。
とりわけ欧米語の語源や語史について、カタカナで引けるので、長く使っている辞典である。

トイレットは、麻の布のことで、麻布を敷いた化粧台という意味から、化粧室となったらしい。
ちなみに日本語の厠は不明。川屋の意味とする説もあるが、飲料水用の川と区別したのかしないのか、どう区別したのか、何もわからないので、不明とするしかない。

2017年12月10日日曜日

『ハレとケの超民俗学』

1979年、工作舎刊、『ハレとケの超民俗学』
それまで民俗学入門用に読んだものは、概論風のものはピンと来ず、柳田国男から選んだものは、ゴシップ風だったり、のんびりしすぎだったり、また折口信夫は数行読んでは難解さに溜め息をつくばかりだった。
この『ハレとケの超民俗学』は、工作舎の編集者の松岡正剛と高橋秀元の対談集だが、内容にリアリティがあり、民俗学理解のコツのようなものを、この本からもつかんだように思う(他には大野晋の日本語成立論など、民俗学の勉強になる)。以後はすらすら読める本が多くなった。

2017年12月9日土曜日

ヘーゲルの『小論理学』

岩波文庫版のヘーゲルの『小論理学』(松村一人訳)は、1978年刊行。これはAmazonから取りこんだデータなので蔵書を確認すると、やはり1978年で、9月18日第29版改版発行とある。改版とはたぶん旧漢字から新字に改めたことをいうのだろう。新刊で読んだ。

内容は、次のような感じだったか(間違っているかもしれないが)
有とは、ただ有るのであり、何かが有るのでは無いので、無のことである。無とは無いことだが、無いことすら無いのだから、有と同じ? というより有と無とは統一されたものであり、もはや別の物、成ということであって、思想のことである・・・

すぐ後に、河出書房版「世界の大思想」のうちの『エンチュクロペディ』を入手し、この論理学の次の『自然哲学』『精神哲学』を読もうと思ったが、『自然哲学』は自然や宇宙の現象を哲学用語で叙述するという実に変った内容だった。途中まで読んだ。
哲学書は、著書や著者やその人生などを評価不評価するために読むのではなく、自身の思考の鍛錬のために読むということで良い。

2017年12月8日金曜日

『歴史と旅 特集・邪馬台国はここだ』

秋田書店の雑誌『歴史と旅 特集・邪馬台国はここだ』は、1976年6月号だが、
1977年初頭の寒い日に、甲州街道沿の模型屋の隣の古書店で見つけて、読んだ。
井上光貞『日本の歴史1』(中央公論社)、東京新聞連載時の『清張通史』などは読んでいたが、その他の有名な先生がたの説が、カタログのように載っていた。
読み終って高校時代の地図帳を取り出し、武蔵国周辺を目で追いながら、邪馬台国当時の国名と似ている地名は見つからないものかと、探してみた。カナサナ国は神社名としてあった。しかし10以上を見つけ出すのは、容易でないことがわかった。
書庫に見つからずスキャナ画像は撮れなかった。

2017年12月7日木曜日

『夢野久作傑作選』

1976年に、文庫判の『夢野久作傑作選』(現代教養文庫)5冊のうち最初のものを読んでから、5冊を順次読了することになった。探偵小説というものは、そういう読者を熱中させるものがあるのだろう。
今は次の2つについて以外は、内容を思い出せない。

1つは、長編『ドグラマグラ』に出てくる、新興宗教のような怪しい祭文。チャカポコ拍子をとりながら歌うような長文だったが、あの部分は再読してみたい。

もう1つは虚言癖の娘が、自らの経歴そのほか全てを虚言で装い、そのように世間にとりつくろい、恋人にも接するのだが、そうしているうちに虚がばれそうになったのか、虚言そのものに疲れ果てたのか、忽然と姿を消す話。今の世の人間は誰しも自分を装うことばかりに気をとられてはいないかというテーマにもなってくる。

その後の興味や関心の進展により、この2点だけは何度も思い出す機会があったので、自分の永いテーマとして記憶に残っているのだろう。

2017年12月6日水曜日

文庫判の漫画の最初『化け烏』

文庫判(A5判)の漫画の最初は、1975年の『化け烏』(水木しげる著、東考社)である。このことは、版元も自負していたので間違いない。75年初頭か前年に東京都国分寺市の東考社に、まとめて予約に行ったら、1冊何か貰った。新書判の『噂の武士』だったかもしれない。東考社は引越先が決まっていたので、奥付は埼玉県の新住所になっている。
文庫版漫画は、すぐに二見書房が続き、翌年には大手の講談社や小学館そのほかが参入。
当時は、作品はすでに定評のあるものを集成したものが主体で、大島弓子の少女漫画なども、老若男女に広く読まれることになる。

2017年12月5日火曜日

1974年の稲垣足穂の本

1974年は、蔵書リストをみると、潮出版の「多留保集」シリーズなど、稲垣足穂の本が多い。
発売後まもなくに読んだのは『男性における道徳』(中央公論社)というエッセイ集。
「男性には書物、女性には衣服」とか、美食の戒めとか、後世の「男性脳と女性脳」のような話が、アイロニーをこめて語られてあったと思う。
画像は「多留保集」のもの。足穂は3年後の1977年の年末に没した。
1974年の重要な本といえば、他には、大野晋の『岩波古語辞典』がある。高校卒業後にもう1冊古語辞典を買った人も多かったらしい。

2017年12月4日月曜日

小沢正の童話『目をさませトラゴロウ』

竹やぶに住んで、いつもおなかをすかしているトラ、名前はトラゴロウと、人間や動物たちとの物語。講談社文庫から出たこともあるのは、大人のファンが多いということだろう。

トラゴロウは、あまり働かずに竹やぶでのんびりしていることが多いのだが、おこって人間をたべたりもする。
トラゴロウが2匹になる話や、途中で昼寝してしまった自分を置いたまま帰ってきてしまったとか、キバをなくしたトラはトラといえるだろうかとか、いわば「自己を二重化」する話が多く、大人も考えさせられるテーマが多いのである。哲学的にも読める。
1973年に理論社から「愛蔵版」が発行されたのだった。


2017年12月3日日曜日

石森章太郎『劇画 家畜人ヤプー』

沼正三原作、石森章太郎『劇画家畜人ヤプー』は、1971年の発行だが、その1~2年後ごろ、神田の古書店で大量に安売りしていたのを1冊買った記憶がある。調べたら版元の都市出版社は、1972年6月倒産。その直後だろう。
内容は、奇書といわれているが、日本人の人種コンプレックスを諷刺したものとして愉快に読んだ。西洋文化への盲従に対する皮肉の意味もある。吉行淳之介らも絶賛しているので、マゾヒズムとは女性礼賛表現の特殊な形でもあるのだろう。
小説よりも漫画を先に読んだ。この本のいう「劇画」とは、劇画初期の劇画ではなく、なんでもニューミュージックのような意味。

2017年12月2日土曜日

その年の記憶に残る1冊

今月は、1970年以後の、新刊まもない時期に読んだ本から、1年1冊のペースで、その年の記憶に残る1冊について書いてみる。
時代とからめて書くこともあるが、自分史的な回顧の面もある。ただし新刊本はめったに読まない。新刊で読んだものは少ないので1冊選ぶのは簡単。

2017年12月1日金曜日

劇画とは何か 『現代漫画論集』

 著者は『漫画主義』という雑誌の同人で、石子順造ほか3人。40数年前のわが青春の一冊でもある。
 当時の記憶だけをたよりにこのブログを書いているが、最も印象に残る論文は、権藤晋の劇画論だった。小説などもそうだが、作品論といえば、作家の生い立ちやら、経験から形成される思想などを主体に論じられることが多いが、この論は、読者や読者層の生活やら世界観を主体にして、大衆文化論にとどまらない作品論に踏み込むものだった。その読者層とは、昭和30年代の貸本屋の主たる客だった「非学生ハイティーン」ともいうべき若者たち。辰巳ヨシヒロやつげ義春らが「劇画」を代表する作家だ。
 しかし貸本屋は、農村部にはなかったので、想像するしかなかった。

2017年11月29日水曜日

『反「忠臣蔵」読本』

徳川綱吉の時代に、服忌令が制定され、四十九日間を忌とするとか、そういう制度のが定着したという。もともと公家の世界では血を見ることすら穢とされ、一定期間は公に姿を現せないしきたりだったが、武士は必ずしもそうではなかった。というか、武士は戦場で戦うのが仕事なので、戦国時代などに敵将の首を討ち取ってすぐに殿の御前に献上するほどだった。泰平の世となり、「武士の公家化」が進んだということらしい。東照宮の造営にも忌服中の職人は関れず、勅使饗応の日に松の廊下で血を見るなど以ての外となる。

私が以前から専門家の言で確認したかったことは、今回も載っていなかった。つまり、
勅使饗応役となった大名(このときは浅野内匠頭)が、勅使饗応の全ての費用を負担するわけだが、東照宮普請役なども東照宮の修築費用を全て負担した。吉良家などの高家は、しばしば京都へ行き来することもある役であるが、正月に京都で将軍の年賀の挨拶を伝え、江戸に戻って、三月にはその返礼の勅使を江戸で饗応する。勅使饗応役という名称から想像すれば、高家の京への往復の諸費用は、勅使饗応役の負担ではなく、高家の負担なのではないか。それは高家への謝礼という形で、饗応役の大名が負担するしかなく、元禄時代に勅使饗応の費用が膨大となったように、高家の負担も膨大となっていたかもしれず、謝礼の増額も必要だったかも、ということ。
(洋泉社 1999)

2017年11月28日火曜日

水木しげる×梅原猛の対談、トントン相撲ゲーム


『芸術新潮』2010年8月号の水木しげる×梅原猛の対談。大正11年生れと14年生れ。
対談内容に特別に新しいものというのはなかったかもしれないが、両者の共通点に、子どものころ「トントン相撲に熱中して、自分で番付までこしらえて遊んだ」という話。

水木「頭のいい子供がよくそういう遊びをするんです。紙相撲の力士を200人くらい作って」
紙を縦に半分に折って、人形型に切って作り、折った部分は90度くらい開いて、2つを向かい合わせる形と思われる。

梅原「将棋の駒を向き合わせて、トントン。やはり四股名をいろいろ付け、自分が勧進元となって本場所を開催しまして」「野球もやった」「全部記録をとって」

私が小学2年生のときにやったのは、ボール紙を小さい四角に切って、四股名を書き、2枚の上を着けて「∧」という形に向き合わせた。決まり手はほとんど「押し倒し」。四股名は現役の力士名を漢字で書いた。「大鵬」「朝潮」など難しい漢字を2年生が書いたので「神童か」などと言われた。
野球は高学年になってからで、スコアブックをつけてリーグ戦を開催し、首位打者などを表彰した。短い鉛筆を転がして1~6の数字を得て、2回で6×6、36種類から乱数表を見てヒット性の当りや凡打が決まるが、3割5分の4番バッターはヒットの確率は3割5分になる別表もあり、ピッチャーが良ければ5分引きになるなど。だいぶ梅原氏に近かったようだ。

2017年11月27日月曜日

「封建制概念の放棄」~『歴史学をみつめ直す』保立道久

 保立道久著『歴史学をみつめ直す』(校倉書房 2004)。日本の近世をどうみるか、どちらかというとマルクス主義歴史学の本である。
 マルクスの『資本論』の中に、日本の近世のことを「純粋な封建社会」と書いた部分があることは有名な話。しかしマルクスという人は、時々論争相手に皮肉をこめて、某の主張の通りなら現実は理想的な○○だ……といったような書き方をすることがあり、日本が「純粋な封建社会」だというのも、その類の表現だというのが、著者の詳細な論証による結論である。かの不破哲三も若いころ研究者としてこの問題の論文を書いたが途中で撤退したらしい。日本は西洋史的な封建社会とはいえず、マルクスの用語でいえば、アジア的生産様式の社会だったという判断である。
 アジア的生産様式とは、要するに西洋とは違う東洋的な封建制度に近いものと思うが、東洋的な封建制度の意味を知らない人が多いようなので、広辞苑を引いてみよう。
「封建制度 ①天子の下に、多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が各自領内の政治の全権を握る国家組織。中国周代に行われた。」
 領主たちはそれぞれ独立し、これはいわば「純粋な地方自治」だといえなくもない。近代的交通通信手段の未発展の時代には、地方の自立性が高くなるのは当然だだろう。アジアは西洋史のような発展段階とは異なるアジア的生産様式であるというのがマルクスの論理である。この本の副題は「封建制概念の放棄」。「封建」などという奇妙な概念に捕われていては正しい認識は不可能であり、放棄すべきだという。私も同様の認識に達していたので、これは有難い。しかし日本では、マルクスの見解は、そのようには理解されなかった。
 明治の日本人は、西洋の中世史を読んで、そこに書いてあることをことごとく日本の近世に当てはめようとした。そして暗黒の江戸時代像が作られていった。佐藤常雄『貧農史観を見直す』 (講談社)によると、当時は左派陣営も明治政府と同じ主張をしていて、「奇妙な一致」だと書いている。明治政府側は、追い付き追い越せ、日本の歴史には学ぶべきものは何もない、脱亜論で行こうというわけなのだった。他方では、西洋史的な意味での「純粋な封建社会」であれば西洋史と同じ発展段階を経て次の段階の革命が期待できる、そうあってほしい、あるべきだということだったのではなかろうか。いわば左翼脱亜論である。

2017年11月26日日曜日

「地球史を読み解く」丸山茂徳(放送大学)

丸山茂徳「地球史を読み解く」。放送大学で視聴可、2014年以来、断続的に再放送。そのノートの一部。

 5~6億年前に、超大陸・ゴンドワナ大陸が南半球にできて、火山活動が活発となり再び大陸が分裂して行くときに、三葉虫など海の生物が爆発的に進化・拡散した。やがて魚類が生まれ、3~4億年前には動物は陸上にも進出、というより、地殻変動で陸に取り残された水棲の動物があったと思われる。そのとき陸には大森林ができていて、空気中の二酸化炭素が減り、酸素が増えていたという。
 分裂を始めた大陸は、2億5000万年前にいったん合体して「パンゲア大陸」となり、そこからまた分裂を始める。そのころ爬虫類が出現。哺乳類も現れるが、大型爬虫類(恐竜)の全盛期となる。
 そして6500万年前に恐竜は絶滅。原因は、巨大隕石の落下とか、太陽系が暗黒星雲の中を通過した時期だったからとか、諸説がある。
 その後、大陸は現在の位置に近づいて行く。インド大陸がユーラシア大陸に衝突したのは、千数百年前。それに近い時期に、日本海が裂けて日本列島ができ始め、アフリカ東部が裂けて大地溝帯ができ始める。アフリカ大地溝帯では人類が誕生。

現在の大陸は皆、東アジアに向かって移動中であり、2~3億年後には再び全部が合体して、北半球に超大陸ができる。その名は「アメイジア大陸」。3億年後には大陸はまた分裂して行くが、そのころは、二酸化炭素が極端に少なくなって、実を稔らせる植物は絶滅に近い状態になることが予想される。
その原因となるのは、炭素がふくまれる微生物の死骸が海底に蓄積し、海底のプレート移動でマントル内に沈んでしまって、地上の炭素は激減し、二酸化炭素も激減する。食糧がなくなるので、大型動物も生き残れない。海水もマントル内に落ちて、だんだん海が消滅してゆく。

予想される地球の未来
4億年後 二酸化炭素の消滅、C4植物(穀類など)の死滅。それに依存する動植物に打撃。
  CO2は地球に埋没しつつマントル対流していたが、そのバランスが、崩れてゆく。
10億年後、プレートテクトニクスの停止。海水がマントルに飲み込まれてゆく。それは6億年前から進行中だった。火山活動も停止。磁場の急減。宇宙からの有害電波。空気の散逸。
15億年後、海の消失。灼熱の金星状態。
35億年後 アンドロメダ銀河との衝突
80億年後 太陽の膨張により地球が呑み込まれる

2017年11月24日金曜日

『戦後史の正体』孫崎享

2012年の創元社のベストセラー。先月10月の衆議院選のころ読む。
日本の戦後政治と米国米軍との関係について、元外務省官僚の視点から叙述。
気づいたこと。

1、自民党結党時からの綱領の「改憲」とは、鳩山一郎総裁の「自主外交」とセットだったこと。自主外交とは、米軍に出ていってもらうこと、その上で防衛力を備えるための改憲のことだった。同じ憲法のまま、今の自衛隊は世界7位の軍隊になっているので、もはや、改憲は必要ないことになると思う。「自主外交」はいまだ達成されていない。

2、著者は岸内閣の再評価が必要という。著者のいう反安保デモCIA陰謀説はいかがかと思うが、日米安保条約の内容は評価すべきとしている。すなわち、安保条約での両軍の軍事行動は、日本および日本の近海において、日本が攻撃を受けたときに限られる。これは先守防衛ということだろう。さらに、両国の国会決議などが必要であり、国連軍的な行動であること。集団的自衛権を認めていないのである。それでも国民の半数以上が反対だった。

3、1のように1950年代までは米軍の撤退のスケジュールについて発言する日本の政治家は少なくなかったし、60年代のベトナム戦争にも日本は自衛隊を派兵していない。そこから離れて、対米従属に大きく舵をきったのは00年代の小泉内閣のときだと著者はいう。しかし対米従属がいつから強まったかというと、80年代の中曽根内閣のときに大きな変化があったようにも思う。

戦後72年。それにしても米軍は、100年も200年もいる気なのだろうか。

2017年11月23日木曜日

樋口一葉について、一葉忌に

11月23日は、24歳でなくなった樋口一葉の命日。一葉忌である。
数年前に、江戸時代史の延長として、一葉の研究本等をいくつも読んだことがある。印象に残るのは、
1 田中優子『樋口一葉「いやだ!」といふ』(集英社新書)
2 塩田良平『人物叢書 樋口一葉』(吉川弘文館)
3 井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』(紀伊国屋書店ビデオ)

3は演劇のビデオだが、一葉が「萩の舎」で古典を学び始めたころ、家が貧しいことに劣等感を持っていたといわれるが、他の生徒たちの親は政府の高官だといっても元は足軽風情、という意味のセリフがあった。一葉の父は、元は甲州の農民だが、金を貯めて御家人の株を買って武士になっている。足軽は士分ではない。そのような優越感もあったということを見落とすべきでない。
2には、一葉の父は甲州にいたころ「公事師」の仕事もしていたと書いてあった。他の本では、貧しい農民たちの法律の相談にのっていたなどとしか書かれてなかったが、公事師というのは実は曲者なのである。弱者の味方などではありえない。一葉が世に出てからの話に、怪しい男にいきなり借金を申し込みに行くなどの行動も、その父を思えば、なるほどありうることだと思う。一葉にはそういったきわどい一面もあると思うのだが、しかし一葉の作品は美しいと思う。

2017年11月22日水曜日

『DNAで語る日本人起源論』篠田謙一

近年この類の本が多いが、1冊とりあげるとすれば、この本になる。
女性に受け継がれるミトコンドリアDNAについては、日本人は、朝鮮半島、遼東半島、山東半島の人たちと共通項が多いという。男性に受け継がれるY染色体ハプログループについては、チベットの辺境地域の人たちという。

「東アジアからインド北東部への集団の移動です。……約6000年前に東アジア起源の集団が北インドへ進出した考古学的な証拠があります。この地域のチベット・ブータン語を話す人びとのミトコンドリアDNAやY染色体ハブログループのなかには東アジア起源のものがあるとされ」
ということなのだが、「チベット・ブータン語」とは何か? ブータンの国語である

ゾンカ語 のことかもしれない。

ブータンはインド東部に接し、南のインド側では、ヤムナー川とガンジス川の間の平野に、大穀倉地帯が広がる。

6000年前とは、最も海面が高く内陸まで浸蝕した時代(縄文海進)なので、低地に住んでいた人々の移動だったのかもしれない。
日本の米は、DNAから中国南部のものと近いらしい。日本からさらに朝鮮半島へ伝わったとする説が有力となりつつある。
(岩波書店 2015)

2017年11月21日火曜日

江戸のキリシタン屋敷

『人生歳時記』(三宝出版 1971)という本の「11月21日」のところを見たら、
「宣教の目的をもって屋久島に上陸した宣教師シドッチを幕府は江戸に護送し、新井白石に命じて、小石川のキリシタン屋敷で、宝永六年(一七〇九)一一月二一日に、取調べを行なった。なお、それをもとにして、白石は、西洋の地理、歴史について書いたものが『西洋記聞』で、洋学の先駆的書物である。」

と載っていた。シドッチとは、イタリア人、
ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティのことで、その後、屋敷に幽閉された。2014年に屋敷跡が発掘されたときに出た人骨は、DNA鑑定などにより彼のものとされ、昨年11月に顔の復元模型が公表されたというニュースがあったらしいが、気づかなかった。

宣教師シドッチ:遺骨で顔復元… - 毎日新聞

2017年11月20日月曜日

『侍従長の遺言』徳川義寛

昭和天皇の靖国神社参拝のとりやめの原因は、A級戦犯合祀にあったとして話題となった本。
こんな一節もある。
「皇族の摂政はだめなのよ。陛下ご自身も摂政をなさって、いろいろ苦労されている。貞明皇后さまにもご苦労されていたようです。
過去、皇族の摂政は聖徳太子とか三代しかない。新嘗祭ひとつとっても、摂政はお供までしかできないんです。神前でご自分も食べて穀零と触れられるのは天皇だけなんです。大正さまの時にも陛下は摂政としてそうやっておられた。」

これは終戦直後に一部で昭和天皇退位論(皇太子即位、高松宮摂政)が出たころの話。
「三代」の摂政とは、聖徳太子と昭和天皇と、もうお一人なのだろう。歴代の女性天皇よりも数が少ない。ということは、8人10代の女性天皇よりも摂政のほうが不自然だということ。
(朝日新聞社 1997)※終戦直後は立太子礼はすんでいない。

2017年11月19日日曜日

目崎徳衛『紀貫之』……内教坊の阿古久曽

大岡信の『紀貫之』(筑摩書房)を読もうと思ったが、書庫に見つからない。その本のヒントになったという目崎徳衛『紀貫之』(吉川弘文館)を取り寄せて読んだ。
「童名は内教坊の阿古久曽(あこくそ)と号す」、内教坊は宮廷の「女楽・踏歌をつかさどるところ」で、貫之はダンサーたちに育てられたらしい。
「貫之が貴族社会の粋筋に当る教坊の内に生を享け、多くの歌姫・踊子たちから「阿古久曽」「阿古久曽」とマスコットのように可愛がられて育ったと考える方が、後年王朝文化を和風・女性風に転換する立役者となった彼にふさわしいと思う」29p

なるほど。紀氏はもと武人の家系だが、ここに見事に転換できた。
紀貫之の『土佐日記』は女性をかたって書かれたが、女性ではありえない性的表現などがあり、すぐばれると目崎氏はいうが、大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史』によると、平安朝の貴族の女性の日記でそういう表現はあるらしい。
大岡信の本を探したい。

2017年11月17日金曜日

伊藤重夫のマンガ『踊るミシン』

待望の復刻がなった伊藤重夫のマンガ作品。
少年少女たちは、何になろうとしているのか、
彼らの見た、海辺のさわやかな光と、夜空の和みの風が、どこかでショートするとき、いくつかの飛び立つものの姿を、そこから感じとることができるのかもしれない。
淋しいような新鮮なような音楽を聴いている心地がする作品。

発売:アイスクリーム・ガーデン 2017年10月7日発行

2017年11月16日木曜日

大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史』

 (新潮新書)
むかし古事記の人物系譜から女系図を作ろうと思ったことがあるが、女から女へという「女・系図」だったのですぐに挫折した。この本はいわば「女系・図」で、力のあった女性が子孫へ及ぼした影響などなどが書かれる。女性の財産や力を頼って男は婚姻し、それによって出世する話など、昨日の日記の大岡信も言っていた。

在原業平と某斎宮の間に子があるという伝説では、子孫は、紫式部の娘婿や、一条帝の后へと続く。

後家は夫の全権を継承したらしく、源義朝の後家は後妻・常盤御前だが、その実子の義経へ全権が継承されることを、先妻の子の頼朝は非常に恐れたのだとか。
古い時代の末子相続なども「後家の力」の影響なのだろう。

「乳母の力」は簡単にしか触れてないのは、既に類書があるのかもしれない。

2017年11月15日水曜日

丸谷才一×大岡信の対談「女の歴史・男の歴史」

『大航海』新書館 1994年創刊号より。
大岡信が柳田国男の『明治大正史・世相編』から紹介……
……主婦の意味の刀自とはすなわち杜氏であり、酒は女が造り管理する。「女を一緒にしたものが酒盛りで、男だけの場合はそれを指す言葉がなかった」酒の分配権は女にあり、男たちだけでは酒は飲めなかったということだろう。専門の店ができてから、酔っぱらいが増えたとのこと。

今回の横綱日馬富士の暴行事件。相撲は男だけの世界なので、禁酒を徹底してはどうか??


2017年11月14日火曜日

『花笠お竜』の原作『ハンターお竜』

テレビのBS7で『女殺し屋 花笠お竜』を連日放映中。1969~1970年のドラマで、原作は棚下照生の漫画。主題歌が都はるみというので知っていたが、原作本も持っている。
主演は、松山容子とばかり思っていたが、違った。久保菜穂子というベテラン女優。男装の美剣士のイメージなのだが、監督の解釈なのだろうか。原作を生かすなら、お色気のあるアクションスターなのだが、そのへんは脇役のフーテンのお巻(カルーセル麻紀)たちが新たに設定されたのだろう。
棚下照生の作品は青林堂の『現代漫画論集』でも取りあげられていたと思う。
(棚下照生は松山容子の夫)

2017年11月12日日曜日

サトウ・ハチロー作詞の『憲法音頭』

『憲法があぶない』(鈴木邦男、祥伝社新書 2017)
衆議院選で立憲民主党支持をうちだした「新右翼」といわれた鈴木邦男の護憲論。
読みはじめてみると気軽な講演のような軽さで、自分史的内容も読みたいとは思わなかったが、
守屋浩の歌った『二十四条知ってるかい』(服部レイモンド作詞作曲)、24条とは憲法24条の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」のことで、若者が自由恋愛をうたって親の世代を皮肉った歌謡曲である。この1曲を聴きたいために、鈴木氏は高価な守屋浩全集を購入したそうなので、人物は面白い人なのだろう。
氏の紹介するサトウ・ハチロー作詞、中山晋平作曲の『憲法音頭』は、戦後に作られたものだが、ぜひ聴いてみたいと思った。

2017年11月11日土曜日

外国人による日本論のアンソロジーの本があると良い

『外国人がみた日本史』 (ベスト新書、河合敦 2015)
日本史で、フランシスコ・ザビエル、ハリス、ヒュースケン、ペリー、イザベラ・バード、シュリーマン、そのほか日本を訪れた外国人が日本のことを書き残した著作は多い。それらを引用しながら著者のコメントを載せている。しかしそのコメントは、引用文の内容の繰り返しや、若者受けの比喩話など、少々退屈なものだった。
引用は全文章の3割ほど。……ネットのブログの著作物としてのオリジナル性の目安として、引用は1/3以下にしましょう、というコメントをネットで見たことがある。
あまりおすすめというわけではなく・・・、
私の読みたかったものは、余計なコメントのないアンソロジーなのだった。

2017年11月4日土曜日

西国三十三所のDVD

西国三十三所札所会 公認DVD 西国三十三ヶ所めぐり

というDVDが届いた。ヤフオクで格安だった。
十年前後以前に、急いでひと通り回ったことがあるのだが、写真をバシバシ撮る習慣がなくて、写真が少ないので、このようなDVDが手もとにあると便利だ。Panasonicの録画機にインストール?もできた。

2017年11月2日木曜日

つげ義春「つげ義春傑作選」

嶋中書店。2冊で1100ページ。安価だったので傷みを気にせず何度も読める。
これまでもさまざまな版があり、この50年で、どの短編も20回以上は読んだと思う。
あと何度読めるだろうか。
つげ作品の中に描かれる貧乏暮らしとは何なのかと思う。
つげは昭和25年に小学校を終え中学へは行かずに、少年工として職を転々とすることになる。昭和21~22年のころは、まだ日本全体が貧しい時代だったが、25年ともなれば朝鮮特需のころである。時代に取り残された家族があった。次の時代にも取り残される者たちがあり、取り残された者たちのほうが、失われたもののことをよく知っていることになるのだろう。

2017年11月1日水曜日

つげ義春「苦節十年記」

つげ義春コレクション(ちくま文庫)の1冊。
つげの弟のつげ忠男について書いた2編のエッセイでは、何やら「冷たい兄」であるかのように書いてあるが、つげの作品にはそんなに冷たい人物は登場しないわけであるし、エッセイは誇張ないし大幅削除の残り物なのだろう。
長兄と次男のつげ(義春)は中学にも行かずに少年工として家計を支え、不平など全く言わずに働き続けた兄を、つげは最も尊敬する人だとも書く。2人の兄のおかげで中学を卒業できた忠男が、2人の兄を尊敬しないはずがない。