2017年11月29日水曜日

『反「忠臣蔵」読本』

徳川綱吉の時代に、服忌令が制定され、四十九日間を忌とするとか、そういう制度のが定着したという。もともと公家の世界では血を見ることすら穢とされ、一定期間は公に姿を現せないしきたりだったが、武士は必ずしもそうではなかった。というか、武士は戦場で戦うのが仕事なので、戦国時代などに敵将の首を討ち取ってすぐに殿の御前に献上するほどだった。泰平の世となり、「武士の公家化」が進んだということらしい。東照宮の造営にも忌服中の職人は関れず、勅使饗応の日に松の廊下で血を見るなど以ての外となる。

私が以前から専門家の言で確認したかったことは、今回も載っていなかった。つまり、
勅使饗応役となった大名(このときは浅野内匠頭)が、勅使饗応の全ての費用を負担するわけだが、東照宮普請役なども東照宮の修築費用を全て負担した。吉良家などの高家は、しばしば京都へ行き来することもある役であるが、正月に京都で将軍の年賀の挨拶を伝え、江戸に戻って、三月にはその返礼の勅使を江戸で饗応する。勅使饗応役という名称から想像すれば、高家の京への往復の諸費用は、勅使饗応役の負担ではなく、高家の負担なのではないか。それは高家への謝礼という形で、饗応役の大名が負担するしかなく、元禄時代に勅使饗応の費用が膨大となったように、高家の負担も膨大となっていたかもしれず、謝礼の増額も必要だったかも、ということ。
(洋泉社 1999)

2017年11月28日火曜日

水木しげる×梅原猛の対談、トントン相撲ゲーム


『芸術新潮』2010年8月号の水木しげる×梅原猛の対談。大正11年生れと14年生れ。
対談内容に特別に新しいものというのはなかったかもしれないが、両者の共通点に、子どものころ「トントン相撲に熱中して、自分で番付までこしらえて遊んだ」という話。

水木「頭のいい子供がよくそういう遊びをするんです。紙相撲の力士を200人くらい作って」
紙を縦に半分に折って、人形型に切って作り、折った部分は90度くらい開いて、2つを向かい合わせる形と思われる。

梅原「将棋の駒を向き合わせて、トントン。やはり四股名をいろいろ付け、自分が勧進元となって本場所を開催しまして」「野球もやった」「全部記録をとって」

私が小学2年生のときにやったのは、ボール紙を小さい四角に切って、四股名を書き、2枚の上を着けて「∧」という形に向き合わせた。決まり手はほとんど「押し倒し」。四股名は現役の力士名を漢字で書いた。「大鵬」「朝潮」など難しい漢字を2年生が書いたので「神童か」などと言われた。
野球は高学年になってからで、スコアブックをつけてリーグ戦を開催し、首位打者などを表彰した。短い鉛筆を転がして1~6の数字を得て、2回で6×6、36種類から乱数表を見てヒット性の当りや凡打が決まるが、3割5分の4番バッターはヒットの確率は3割5分になる別表もあり、ピッチャーが良ければ5分引きになるなど。だいぶ梅原氏に近かったようだ。

2017年11月27日月曜日

「封建制概念の放棄」~『歴史学をみつめ直す』保立道久

 保立道久著『歴史学をみつめ直す』(校倉書房 2004)。日本の近世をどうみるか、どちらかというとマルクス主義歴史学の本である。
 マルクスの『資本論』の中に、日本の近世のことを「純粋な封建社会」と書いた部分があることは有名な話。しかしマルクスという人は、時々論争相手に皮肉をこめて、某の主張の通りなら現実は理想的な○○だ……といったような書き方をすることがあり、日本が「純粋な封建社会」だというのも、その類の表現だというのが、著者の詳細な論証による結論である。かの不破哲三も若いころ研究者としてこの問題の論文を書いたが途中で撤退したらしい。日本は西洋史的な封建社会とはいえず、マルクスの用語でいえば、アジア的生産様式の社会だったという判断である。
 アジア的生産様式とは、要するに西洋とは違う東洋的な封建制度に近いものと思うが、東洋的な封建制度の意味を知らない人が多いようなので、広辞苑を引いてみよう。
「封建制度 ①天子の下に、多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が各自領内の政治の全権を握る国家組織。中国周代に行われた。」
 領主たちはそれぞれ独立し、これはいわば「純粋な地方自治」だといえなくもない。近代的交通通信手段の未発展の時代には、地方の自立性が高くなるのは当然だだろう。アジアは西洋史のような発展段階とは異なるアジア的生産様式であるというのがマルクスの論理である。この本の副題は「封建制概念の放棄」。「封建」などという奇妙な概念に捕われていては正しい認識は不可能であり、放棄すべきだという。私も同様の認識に達していたので、これは有難い。しかし日本では、マルクスの見解は、そのようには理解されなかった。
 明治の日本人は、西洋の中世史を読んで、そこに書いてあることをことごとく日本の近世に当てはめようとした。そして暗黒の江戸時代像が作られていった。佐藤常雄『貧農史観を見直す』 (講談社)によると、当時は左派陣営も明治政府と同じ主張をしていて、「奇妙な一致」だと書いている。明治政府側は、追い付き追い越せ、日本の歴史には学ぶべきものは何もない、脱亜論で行こうというわけなのだった。他方では、西洋史的な意味での「純粋な封建社会」であれば西洋史と同じ発展段階を経て次の段階の革命が期待できる、そうあってほしい、あるべきだということだったのではなかろうか。いわば左翼脱亜論である。

2017年11月26日日曜日

「地球史を読み解く」丸山茂徳(放送大学)

丸山茂徳「地球史を読み解く」。放送大学で視聴可、2014年以来、断続的に再放送。そのノートの一部。

 5~6億年前に、超大陸・ゴンドワナ大陸が南半球にできて、火山活動が活発となり再び大陸が分裂して行くときに、三葉虫など海の生物が爆発的に進化・拡散した。やがて魚類が生まれ、3~4億年前には動物は陸上にも進出、というより、地殻変動で陸に取り残された水棲の動物があったと思われる。そのとき陸には大森林ができていて、空気中の二酸化炭素が減り、酸素が増えていたという。
 分裂を始めた大陸は、2億5000万年前にいったん合体して「パンゲア大陸」となり、そこからまた分裂を始める。そのころ爬虫類が出現。哺乳類も現れるが、大型爬虫類(恐竜)の全盛期となる。
 そして6500万年前に恐竜は絶滅。原因は、巨大隕石の落下とか、太陽系が暗黒星雲の中を通過した時期だったからとか、諸説がある。
 その後、大陸は現在の位置に近づいて行く。インド大陸がユーラシア大陸に衝突したのは、千数百年前。それに近い時期に、日本海が裂けて日本列島ができ始め、アフリカ東部が裂けて大地溝帯ができ始める。アフリカ大地溝帯では人類が誕生。

現在の大陸は皆、東アジアに向かって移動中であり、2~3億年後には再び全部が合体して、北半球に超大陸ができる。その名は「アメイジア大陸」。3億年後には大陸はまた分裂して行くが、そのころは、二酸化炭素が極端に少なくなって、実を稔らせる植物は絶滅に近い状態になることが予想される。
その原因となるのは、炭素がふくまれる微生物の死骸が海底に蓄積し、海底のプレート移動でマントル内に沈んでしまって、地上の炭素は激減し、二酸化炭素も激減する。食糧がなくなるので、大型動物も生き残れない。海水もマントル内に落ちて、だんだん海が消滅してゆく。

予想される地球の未来
4億年後 二酸化炭素の消滅、C4植物(穀類など)の死滅。それに依存する動植物に打撃。
  CO2は地球に埋没しつつマントル対流していたが、そのバランスが、崩れてゆく。
10億年後、プレートテクトニクスの停止。海水がマントルに飲み込まれてゆく。それは6億年前から進行中だった。火山活動も停止。磁場の急減。宇宙からの有害電波。空気の散逸。
15億年後、海の消失。灼熱の金星状態。
35億年後 アンドロメダ銀河との衝突
80億年後 太陽の膨張により地球が呑み込まれる

2017年11月24日金曜日

『戦後史の正体』孫崎享

2012年の創元社のベストセラー。先月10月の衆議院選のころ読む。
日本の戦後政治と米国米軍との関係について、元外務省官僚の視点から叙述。
気づいたこと。

1、自民党結党時からの綱領の「改憲」とは、鳩山一郎総裁の「自主外交」とセットだったこと。自主外交とは、米軍に出ていってもらうこと、その上で防衛力を備えるための改憲のことだった。同じ憲法のまま、今の自衛隊は世界7位の軍隊になっているので、もはや、改憲は必要ないことになると思う。「自主外交」はいまだ達成されていない。

2、著者は岸内閣の再評価が必要という。著者のいう反安保デモCIA陰謀説はいかがかと思うが、日米安保条約の内容は評価すべきとしている。すなわち、安保条約での両軍の軍事行動は、日本および日本の近海において、日本が攻撃を受けたときに限られる。これは先守防衛ということだろう。さらに、両国の国会決議などが必要であり、国連軍的な行動であること。集団的自衛権を認めていないのである。それでも国民の半数以上が反対だった。

3、1のように1950年代までは米軍の撤退のスケジュールについて発言する日本の政治家は少なくなかったし、60年代のベトナム戦争にも日本は自衛隊を派兵していない。そこから離れて、対米従属に大きく舵をきったのは00年代の小泉内閣のときだと著者はいう。しかし対米従属がいつから強まったかというと、80年代の中曽根内閣のときに大きな変化があったようにも思う。

戦後72年。それにしても米軍は、100年も200年もいる気なのだろうか。

2017年11月23日木曜日

樋口一葉について、一葉忌に

11月23日は、24歳でなくなった樋口一葉の命日。一葉忌である。
数年前に、江戸時代史の延長として、一葉の研究本等をいくつも読んだことがある。印象に残るのは、
1 田中優子『樋口一葉「いやだ!」といふ』(集英社新書)
2 塩田良平『人物叢書 樋口一葉』(吉川弘文館)
3 井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』(紀伊国屋書店ビデオ)

3は演劇のビデオだが、一葉が「萩の舎」で古典を学び始めたころ、家が貧しいことに劣等感を持っていたといわれるが、他の生徒たちの親は政府の高官だといっても元は足軽風情、という意味のセリフがあった。一葉の父は、元は甲州の農民だが、金を貯めて御家人の株を買って武士になっている。足軽は士分ではない。そのような優越感もあったということを見落とすべきでない。
2には、一葉の父は甲州にいたころ「公事師」の仕事もしていたと書いてあった。他の本では、貧しい農民たちの法律の相談にのっていたなどとしか書かれてなかったが、公事師というのは実は曲者なのである。弱者の味方などではありえない。一葉が世に出てからの話に、怪しい男にいきなり借金を申し込みに行くなどの行動も、その父を思えば、なるほどありうることだと思う。一葉にはそういったきわどい一面もあると思うのだが、しかし一葉の作品は美しいと思う。

2017年11月22日水曜日

『DNAで語る日本人起源論』篠田謙一

近年この類の本が多いが、1冊とりあげるとすれば、この本になる。
女性に受け継がれるミトコンドリアDNAについては、日本人は、朝鮮半島、遼東半島、山東半島の人たちと共通項が多いという。男性に受け継がれるY染色体ハプログループについては、チベットの辺境地域の人たちという。

「東アジアからインド北東部への集団の移動です。……約6000年前に東アジア起源の集団が北インドへ進出した考古学的な証拠があります。この地域のチベット・ブータン語を話す人びとのミトコンドリアDNAやY染色体ハブログループのなかには東アジア起源のものがあるとされ」
ということなのだが、「チベット・ブータン語」とは何か? ブータンの国語である

ゾンカ語 のことかもしれない。

ブータンはインド東部に接し、南のインド側では、ヤムナー川とガンジス川の間の平野に、大穀倉地帯が広がる。

6000年前とは、最も海面が高く内陸まで浸蝕した時代(縄文海進)なので、低地に住んでいた人々の移動だったのかもしれない。
日本の米は、DNAから中国南部のものと近いらしい。日本からさらに朝鮮半島へ伝わったとする説が有力となりつつある。
(岩波書店 2015)

2017年11月21日火曜日

江戸のキリシタン屋敷

『人生歳時記』(三宝出版 1971)という本の「11月21日」のところを見たら、
「宣教の目的をもって屋久島に上陸した宣教師シドッチを幕府は江戸に護送し、新井白石に命じて、小石川のキリシタン屋敷で、宝永六年(一七〇九)一一月二一日に、取調べを行なった。なお、それをもとにして、白石は、西洋の地理、歴史について書いたものが『西洋記聞』で、洋学の先駆的書物である。」

と載っていた。シドッチとは、イタリア人、
ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティのことで、その後、屋敷に幽閉された。2014年に屋敷跡が発掘されたときに出た人骨は、DNA鑑定などにより彼のものとされ、昨年11月に顔の復元模型が公表されたというニュースがあったらしいが、気づかなかった。

宣教師シドッチ:遺骨で顔復元… - 毎日新聞

2017年11月20日月曜日

『侍従長の遺言』徳川義寛

昭和天皇の靖国神社参拝のとりやめの原因は、A級戦犯合祀にあったとして話題となった本。
こんな一節もある。
「皇族の摂政はだめなのよ。陛下ご自身も摂政をなさって、いろいろ苦労されている。貞明皇后さまにもご苦労されていたようです。
過去、皇族の摂政は聖徳太子とか三代しかない。新嘗祭ひとつとっても、摂政はお供までしかできないんです。神前でご自分も食べて穀零と触れられるのは天皇だけなんです。大正さまの時にも陛下は摂政としてそうやっておられた。」

これは終戦直後に一部で昭和天皇退位論(皇太子即位、高松宮摂政)が出たころの話。
「三代」の摂政とは、聖徳太子と昭和天皇と、もうお一人なのだろう。歴代の女性天皇よりも数が少ない。ということは、8人10代の女性天皇よりも摂政のほうが不自然だということ。
(朝日新聞社 1997)※終戦直後は立太子礼はすんでいない。

2017年11月19日日曜日

目崎徳衛『紀貫之』……内教坊の阿古久曽

大岡信の『紀貫之』(筑摩書房)を読もうと思ったが、書庫に見つからない。その本のヒントになったという目崎徳衛『紀貫之』(吉川弘文館)を取り寄せて読んだ。
「童名は内教坊の阿古久曽(あこくそ)と号す」、内教坊は宮廷の「女楽・踏歌をつかさどるところ」で、貫之はダンサーたちに育てられたらしい。
「貫之が貴族社会の粋筋に当る教坊の内に生を享け、多くの歌姫・踊子たちから「阿古久曽」「阿古久曽」とマスコットのように可愛がられて育ったと考える方が、後年王朝文化を和風・女性風に転換する立役者となった彼にふさわしいと思う」29p

なるほど。紀氏はもと武人の家系だが、ここに見事に転換できた。
紀貫之の『土佐日記』は女性をかたって書かれたが、女性ではありえない性的表現などがあり、すぐばれると目崎氏はいうが、大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史』によると、平安朝の貴族の女性の日記でそういう表現はあるらしい。
大岡信の本を探したい。

2017年11月17日金曜日

伊藤重夫のマンガ『踊るミシン』

待望の復刻がなった伊藤重夫のマンガ作品。
少年少女たちは、何になろうとしているのか、
彼らの見た、海辺のさわやかな光と、夜空の和みの風が、どこかでショートするとき、いくつかの飛び立つものの姿を、そこから感じとることができるのかもしれない。
淋しいような新鮮なような音楽を聴いている心地がする作品。

発売:アイスクリーム・ガーデン 2017年10月7日発行

2017年11月16日木曜日

大塚ひかり『女系図でみる驚きの日本史』

 (新潮新書)
むかし古事記の人物系譜から女系図を作ろうと思ったことがあるが、女から女へという「女・系図」だったのですぐに挫折した。この本はいわば「女系・図」で、力のあった女性が子孫へ及ぼした影響などなどが書かれる。女性の財産や力を頼って男は婚姻し、それによって出世する話など、昨日の日記の大岡信も言っていた。

在原業平と某斎宮の間に子があるという伝説では、子孫は、紫式部の娘婿や、一条帝の后へと続く。

後家は夫の全権を継承したらしく、源義朝の後家は後妻・常盤御前だが、その実子の義経へ全権が継承されることを、先妻の子の頼朝は非常に恐れたのだとか。
古い時代の末子相続なども「後家の力」の影響なのだろう。

「乳母の力」は簡単にしか触れてないのは、既に類書があるのかもしれない。

2017年11月15日水曜日

丸谷才一×大岡信の対談「女の歴史・男の歴史」

『大航海』新書館 1994年創刊号より。
大岡信が柳田国男の『明治大正史・世相編』から紹介……
……主婦の意味の刀自とはすなわち杜氏であり、酒は女が造り管理する。「女を一緒にしたものが酒盛りで、男だけの場合はそれを指す言葉がなかった」酒の分配権は女にあり、男たちだけでは酒は飲めなかったということだろう。専門の店ができてから、酔っぱらいが増えたとのこと。

今回の横綱日馬富士の暴行事件。相撲は男だけの世界なので、禁酒を徹底してはどうか??


2017年11月14日火曜日

『花笠お竜』の原作『ハンターお竜』

テレビのBS7で『女殺し屋 花笠お竜』を連日放映中。1969~1970年のドラマで、原作は棚下照生の漫画。主題歌が都はるみというので知っていたが、原作本も持っている。
主演は、松山容子とばかり思っていたが、違った。久保菜穂子というベテラン女優。男装の美剣士のイメージなのだが、監督の解釈なのだろうか。原作を生かすなら、お色気のあるアクションスターなのだが、そのへんは脇役のフーテンのお巻(カルーセル麻紀)たちが新たに設定されたのだろう。
棚下照生の作品は青林堂の『現代漫画論集』でも取りあげられていたと思う。
(棚下照生は松山容子の夫)

2017年11月12日日曜日

サトウ・ハチロー作詞の『憲法音頭』

『憲法があぶない』(鈴木邦男、祥伝社新書 2017)
衆議院選で立憲民主党支持をうちだした「新右翼」といわれた鈴木邦男の護憲論。
読みはじめてみると気軽な講演のような軽さで、自分史的内容も読みたいとは思わなかったが、
守屋浩の歌った『二十四条知ってるかい』(服部レイモンド作詞作曲)、24条とは憲法24条の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」のことで、若者が自由恋愛をうたって親の世代を皮肉った歌謡曲である。この1曲を聴きたいために、鈴木氏は高価な守屋浩全集を購入したそうなので、人物は面白い人なのだろう。
氏の紹介するサトウ・ハチロー作詞、中山晋平作曲の『憲法音頭』は、戦後に作られたものだが、ぜひ聴いてみたいと思った。

2017年11月11日土曜日

外国人による日本論のアンソロジーの本があると良い

『外国人がみた日本史』 (ベスト新書、河合敦 2015)
日本史で、フランシスコ・ザビエル、ハリス、ヒュースケン、ペリー、イザベラ・バード、シュリーマン、そのほか日本を訪れた外国人が日本のことを書き残した著作は多い。それらを引用しながら著者のコメントを載せている。しかしそのコメントは、引用文の内容の繰り返しや、若者受けの比喩話など、少々退屈なものだった。
引用は全文章の3割ほど。……ネットのブログの著作物としてのオリジナル性の目安として、引用は1/3以下にしましょう、というコメントをネットで見たことがある。
あまりおすすめというわけではなく・・・、
私の読みたかったものは、余計なコメントのないアンソロジーなのだった。

2017年11月4日土曜日

西国三十三所のDVD

西国三十三所札所会 公認DVD 西国三十三ヶ所めぐり

というDVDが届いた。ヤフオクで格安だった。
十年前後以前に、急いでひと通り回ったことがあるのだが、写真をバシバシ撮る習慣がなくて、写真が少ないので、このようなDVDが手もとにあると便利だ。Panasonicの録画機にインストール?もできた。

2017年11月2日木曜日

つげ義春「つげ義春傑作選」

嶋中書店。2冊で1100ページ。安価だったので傷みを気にせず何度も読める。
これまでもさまざまな版があり、この50年で、どの短編も20回以上は読んだと思う。
あと何度読めるだろうか。
つげ作品の中に描かれる貧乏暮らしとは何なのかと思う。
つげは昭和25年に小学校を終え中学へは行かずに、少年工として職を転々とすることになる。昭和21~22年のころは、まだ日本全体が貧しい時代だったが、25年ともなれば朝鮮特需のころである。時代に取り残された家族があった。次の時代にも取り残される者たちがあり、取り残された者たちのほうが、失われたもののことをよく知っていることになるのだろう。

2017年11月1日水曜日

つげ義春「苦節十年記」

つげ義春コレクション(ちくま文庫)の1冊。
つげの弟のつげ忠男について書いた2編のエッセイでは、何やら「冷たい兄」であるかのように書いてあるが、つげの作品にはそんなに冷たい人物は登場しないわけであるし、エッセイは誇張ないし大幅削除の残り物なのだろう。
長兄と次男のつげ(義春)は中学にも行かずに少年工として家計を支え、不平など全く言わずに働き続けた兄を、つげは最も尊敬する人だとも書く。2人の兄のおかげで中学を卒業できた忠男が、2人の兄を尊敬しないはずがない。